こんばんは、mです。
「英語が<普遍語>となりつつあることの意味を考えざるをえなかったのである。
・・・今、人々の間の交流が急激にさかんになったことによって、言葉に有史以来の異変が二つおこっていると言われている。一つ目の異変は、下の方の、名も知れぬ言葉が、たいへんな勢いで絶滅しつつあるということである。・・・二つ目の異変は、今までには存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全域で流通する言葉が生まれたということである。 それが今<普遍語>となりつつある英語にほかならない。」
まさにそう、インターネット×英語という<普遍語>を用いれば、ありとあらゆる情報にアクセスできる。そして、中学から英語を学んでいる我々日本人にとっては、断然ほかの言語が普遍語となるよりいい。
さらに著者は、英語ではないということにおいて、フランス語ですら日本語と同じで、非対称性の特殊な言語の立場だとも書いています。
本のタイトルにもつながる、英語が普遍語になることとは?
「・・・英語が<普遍語>になるとは、どういうことか。 それは英語圏をのぞいたすべての言語圏において、<母語>と英語という、二つの言葉を必要とする機会が増える、すなわち<母語>と英語という二つの言語を使う人が増えていくことにほかならない。・・・状態が、百年、二百年続いたとする。そのとき、英語以外の書書の言葉が影響を受けずに済むことはありえないであろう。・・・ある民族は、悲しくも、<自分たちの言葉>が「亡びる」のを、手をこまねいて見ているだけかもしれない。」
たしかに日本語を話す人々はどんどん英語という普遍語の影響を受け続けるでしょう。ただ、悪い面ばかりでもないと思います。それは、いうなれば、日本人がどんどん英語をできるようになれば、英語で世界の情報を集めたり、英語圏でビジネスできたりしつつも、日本では日本語という参入障壁をもってやっていける点です。英語が母語の国では、情報がもれやすいですし、参入も容易なので、日本人は英語圏にどんどん戦いに出れる、だけど外国資本は参入しにくい、ホームはしっかり守りつつ、勝負をしかけられる状態になるんじゃないかと思ったりして。
日本語が亡びることはありえないとは思っていますが、もっとも大きな全体の流れを見て、英語の勉強はこれからも続けていこうと思います。そして、このブログも地球のあらゆるところで書いているものの一人として続けていこ~かと。
・・・そんなこんなことを書いている今日は、レアジョブの授業を先生にすっぽかされました(T T) 独りでアーティクルよみますよ~もう。。。
<今日の単語>sit back lay spate of
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